可愛くて可愛くて可愛くて、どうしようもなく可愛かったインコのポーがしにました。
もともと持病持ちだったので、常に恐れていたことです。
「仕事中に体調が急変したらどうしよう」とか。
「地震が起きたらどうしよう」とか。
「いつか死んだらどうしよう」とか。
3日に一度くらいは過っていました。
けれど、この数か月は体調も良好でよく食べ、よく飛び、ウキウキご機嫌な様子だったのに、朝起きたらなんだか変。病院に連れて行くもその甲斐なく旅立ちました。
もう号泣、嗚咽、悲嘆、愁嘆場です。丹田に穴。苦しくてつらくてたまらない。
数日前のLINEを見て「このやり取りしてた時間帯はポーはまだ生きてた!」とか
仕事をしていても「これをやっていた時はポーは元気だった!」とか
「保定の際にこのハンカチでよくポーをくるんだ!」とか、全部をポーインコに結びつけてしまう。
※菅田将暉との話がかみ合わないLINEから。2日ほどハマり、勢いで送ったポーの写真が生前最後のものになるなんて(泣)
「たかがインコで!」と思う人もいるでしょう。言われたら「この人でなしめ!」と思うでしょうが、100歩譲ってそう思う気持ちもわからなくはない。
でも、「たかがインコ」ではなかった「インコの死」で、私のように激しく打ちのめされている人もいるはずです。そんなあなたのために「ペットロスのやり過ごし方」を書いてみました。
ちなみに、乗り越え方ではないです。できるのはやり過ごすくらいです。ペットロスから一発逆転なんてものはないけれど、自分が試した「ほんの少しの助け」を紹介していきます。
メチャクチャ長いので、先に項目を挙げておきます。この下の目次から飛べます。
1、ペットロス体験談
2、ペットロスを癒すために聴いた音楽
3、ペットロスを癒すために読んだ本
4、ペットロスをカウンセリングで癒す
5、ペット霊視(!?)で亡きインコの言葉を聞く
そんなことは承知です。でも、だけど、私は救われたんだって!その体験記も載せています。
※本記事は数年前に別ブログに掲載していたものです(あまりにショックで本ブログでは書けなかった……先代インコとのお別れの話)。23年思い切って移行しました。
Contents
ペットロス体験談で心を癒す(ポーちゃんがしんじゃった)
まず。
ポー亡き後にしがみつくように読み漁ったのは同胞の体験談でした。ペットロス専用の小鳥の掲示板やら知恵袋やらブログやら、インコの死を体験した飼い主の声ばかりを拾っては読みふけった。爽やかな行為とはいえませんが、少しだけ心が落ち着きました。
ですね。
ペットの死はあまりにも個人的なことです。親しい友人だとしてもあんまりな泣き言は言えない。
犬や猫でもそうですが、さらにインコやハムスターになると「観賞用ペット」みたいに見る向きも少なくないから共感は得づらい。
同じ気持ちでいる人の心の叫びで救われる部分はあります。
なので、ポーの死をここでもう少し詳しく綴りたいと思います。書くこともまた、自分にとっての癒しになるわけです。
「カワイイネ」とおしゃべりするカワインコ
セキセイインコのポーは物まね上手なおしゃべりインコでした。水を流す音やカーテンを開く音、歯磨きやくしゃみ音など生活音も上手にマネしてくれました。
「可愛いね、可愛いね、可愛いね、ぽーちゃん、可愛いね!」と毎日呼びかけていたら「カワイイネ、カワイイネ、カワイイネ、ポーチャン、カワイイネ!」とお喋りするようになりました。
私がカゴに近づくたび「カワイイネ!」といい、遊んであげると「カワイイネ!」といい。かわいいでしょ、ホントに。
ポーのあのおしゃべりを思い出すと、いまだ胸というかお腹のあたりがギュッと締め付けられるような気持ちになります。
そんなポーちゃんは病弱でもありました。
2年ほど前にも「肝機能障害」と「腹膜炎」と「ヘルニア」を併発し、生死の境をさまよったことがありました。嘔吐してそのうに水がたまり、羽を膨らませ、フンが出なくなり、食欲不振で強制給餌……。
書いているだけで絶望的な気分になるのですが、当時の医者の見立てでは「五分五分」。名医だったのでしょう。結局、二日ほどで退院し、2週間もすると元の元気なおしゃべりポーちゃんに戻っていました。
ヘルニアは治りませんでしたが、こちらは命に関わるものではないので共存しようと。
朝起きたら、インコが血尿?
ともあれ、そんな過去があったので体調管理には結構気を使ってはいました。
その前日、夕方までガツガツエサを食べ、飛び回ってたけれど、夜9時ごろにカゴを確認するとやや前傾姿勢で止まり木にいた。なんとなくヘン?な気もした。だけど、ヘルニア持ちは前傾姿勢になりやすいし、眠いのかな?くらいに思ってそのまま寝かせたのですが。
朝、かごのシートを変えた時、フンの周りが水でべちゃっ!となっていました。結構な量だったので水入れをこぼしたのだろう、くらいに思っていたのですが。
しばらくして再びシートを見ると茶赤っぽい液体がついている。ヘルニア部分に異常はなし。この赤いのはなに? 血尿とか?
よく見るとエサが全然減っていない。いつもはガツガツ星人なのに。
そういえば、朝見た時から元気がない。そういえば、おしゃべりもない。そういえば、止まり木に移ろうとしてふらついている。
気がついてパニックになりました。
かかりつけ医(※大病から生還した病院は閉院したので別の獣医)に電話して診療時間を延長してもらい、急いで向かいました。ただ、この時は「まだ大丈夫」と思っていました。なぜなら、もっとひどい状態に思えた2年前だって生還できたのですから。
獣医に「厳しい」と言われる
道中、スマホで症状を調べ、素人なりに鉛中毒を疑ったものの、医者は「違うと思う」。診断に困っているようでもありました。
そのうに水がたまっているのを見た時は「これほど溜まってしまうと……。経験上、厳しいですね」とも。
その瞬間、医者選びを失敗した!と思いました。
何度かお世話になっていた先生でしたが、以前に入院した病院(※既に閉院)は、そのうに水がたまっていたけど「五分五分」だと言ってくれ、そうしてポーは助かった。
この期に及んで鉛中毒なのでは?と思ってもいましたし、この医者はそれを見抜けていないのでは?と疑いもしました。というか、そう思いたかった。鉛中毒なら、急激に悪化もするけど特効薬もあるからです。
入院しますか?と聞かれたのを断り、薬をもらって家路につきました。この時もまだ助かると信じていました。
道中でかごの中を覗き込むと、ポーはもう自分の脚で立てなくなっていて羽根を広げて身体を押さえています。意識して見ないようにしました。
鳥専門医は少ない。診療を断られる
帰宅後、設備も症例も充実していそうな小鳥の病院に電話をかけましたが、断られてしまいます。「今日はもういっぱいで。初診の場合は時間がかかるので難しいです」
ポーの呼吸はプツプツと聞こえるほどに早くなっていました。翌日の予約は一応取ったものの「その呼吸状態なら他の病院にすぐに行った方がいい」とも。でも、だって、自分は断ったくせに!断ったくせに!断ったくせに! 平常心を欠きそうでした。
他の病院に電話しました。今度は出ない。半狂乱になりそうでした。そもそも鳥専門医はとても少ない。名医と言われる病院はさらに少なく診療時間も短いのです。
電話をかけまくっている最中にポーが突然さえずり始めました。
鳴けないほどに具合が悪そうだったのにいつものようにおしゃべりを始めたのです。
呼吸はゼイゼイいっている。だけど、鳴き声はささやくようなものではなくはっきりと力がある。病院を探せば助かる見込みはあるはずだと、まだ思っていました。隣室に行き、鳥の病院リストを探しました。以前ブログにアップしようとしてそのままにしていた資料があったはず。
けれど、1、2分後に戻るとポーはカゴの中で息絶えていました。手のひらに載せるとまだ暖かかった。
なんで?なんで?なんで?
あらゆる意味において。なんで?しか浮かびません。
なんで、今日しんだのか。なんで、もっと早くに気づけなかったのか。なんで、そのうに水がたまるほど多飲していたことに気づけなかったのか。なんで、ずっとそばにいてあげなかったのか。なんで、カゴの中でしなせたのか。なんで、手のひらの上で逝かせてあげなかったのか。
「弔いの力」でペットロスを癒す
ポーが亡くなった直後、自分が何を感じているのか、ちょっとわからないような状態でした。
苦しい中にほっとした気持ちもあって「苦しんでいる姿をもう見なくて済む」「いつかしんだらどうしよう?なんて心配をもうしなくて済む」「地震が起きたらどうしよう?みたいなことも考えなくて済む」とも思っていた気がします。
数分間泣きわめいたすぐ後に、「カゴはもう見たくない。さっさと片付けなくては!」「すぐにプランター葬の準備をしなくては!」「ホームセンターに行って鉢植えと土を買わなくては!」みたいな心情になっていた。
「まだ暖かい身体をもっと撫でてあげればよかった」と今になって思いますが、割とすぐに出かけてしまった。
買い物とカゴの片づけ他で当日は割とバタバタ。すぐに埋葬しようと考えていたものの家族から「今日くらい一緒に寝てあげたら」と言われ、それもそうだなということに。
実は、気持ちがより沈んだのは当日より2日目や3日目でした。仕事をしながら2時間に一回くらい号泣を繰り返すような感じ。
私は自宅で仕事しているので「好きな時に泣けた」わけですが会社員ならどうしただろう?とも思いました。2時間に一回くらい給湯室とかトイレにこもってメソメソしたのか。それとも、適当な言い訳つけて休んでしまったか。
ちなみに、うちはプランター葬にしましたが、ポーちゃんの死から数年経過しましたが今では火葬にして小箱にお骨を残した方が良かったかなとも思っています。
というのも、その後引越して大きなプランターごと持って来たのですが、どうにも愛でづらい。かといって何年経っても花を植えるのがためらわれる……。別ブログに書きましたが、小型インコでも結構の大きさのプランターが必要なので。
とはいえど、葬いはペットロスのプロセスとして重要ではあった。悲しいけど悲しいままに気持ちは少し前進するからです。
「音楽の力」でペットロスを癒す
長々とお読みいただきありがとうございます。この先もさらに長いのですが、ポーの最後は今でも苦しいです。四年くらい経った今でも読み返しながら苦しいです。
今思うと最初の病院の先生も断った病院も何も悪くない。でも、なんで?は続く。
で、ペットロスに襲われる要因の一つはこの「なんで?なんで?なんで?」だと思います。答えは永遠にわからない。わからないから、なおキツくて。
そのキツさをどうにかしたくてこの時は音楽を聴いたり、本を読んだり、占いに走ったりしました。
「どうしてなんだろう?」と叫ぶフジファブリック
そんな時、アマゾンミュージックで聴いたこの曲は私の心を代弁しているかのようでした。歌の中の主人公は「どうしてなんだろう?どうしてなんだろう?」と自問を続ける。
フジファブリックの志村正彦がペットロスを意図したはずがあるわけもなく、よくある失恋の歌なのですが。
考えてみれば、号泣したのは20代の頃、失恋した以来です。
40代を過ぎた今にして思うと「失恋ごときで号泣するなんてバカな自分」とか思うわけですが、当時の自分からすると「インコごときで号泣するなんてバカな中年」と思うのでしょうね。
そういうことです。
そうして、涙の友は音楽です。
インコが亡くなる前後、私はたまたまフジファブリックのアルバム『MUSIC』ばかり聴いていたのですが、その中の『Hello』と『会いに』という曲はポーのイメージにピッタリでね。インコを想い、何度も何度も聴きました。
ええ、わかっています。ミュージシャンからして「うちのインコのイメージにピッタリ!」と言われるのって微妙な気持ちだと思います。ファンが怒るかな? だけど、解釈は聴き手の自由ですからね。
『MUSIC』というアルバムは前ボーカルの志村正彦の遺作です。これはフジファブリック全体にいえることなんですが、ポップなんだけれどサヨナラを暗示するような歌が多いんですね。
本人やファンの人たちはイヤかもしれないけれど、ペットロスには最適だったのです。
ともあれ、ペットロス状態の時ってメチャクチャ感受性が強くなっている時期ですから「音楽の力」がものすごく沁みます。
ペットロスを癒す本4冊
「音楽の力」に加え頼ったのは「言葉の力」です。インコを亡くした飼い主の掲示板を見るのと同時進行で数冊の本を読みました。
長田弘「世界は美しいと」――詩人がペットロスを癒す
本書はAmazonで「あなたにおススメ」に上がってきた本です。2時間に一回くらい発作のようにおそってくる嗚咽と号泣に耐えていた頃です。
長田弘の詩集ですが、弱った心にこれまた沁みいるタイトルです。
ところで、詩集なんてこの20年くらい読んでいませんでした。詩集を買ったこともないのに何でおススメに出てくるのか?
私はセンシティブな状態に陥っている人が下しがちな判断をしました。「きっとこれはサインだ!ポーが読めといっているのに違いない!」
というわけで、購入。
サインは的外れなものではありませんでした。なぜなら本書は「消えていったものたち」のための詩集だったからです。
作者は言います。「日常のすべての風景の中には、消えていった人たちの、目に見えない記憶がある」と。
ペットロスには何をかいわんや。
詩人の話をものすごく矮小化しますけど、このよれたハンカチ。
このよれよれハンカチにも記憶があります。気性の荒かったポーを保定する際に、よく使っていたんです。ガーゼごしの暖かなインコの身体とか。そんな感覚を手のひらがまだ覚えていて。
そうして、家主のいないカゴの中にも記憶がある。
そうかもしれません。今回紹介する本はいずれを読んでも泣いてしまうかもしれません。でも、多分、たくさん泣いた方がいいと思います。自分がそうだったから思うのです。
なくてはならないものの話をしよう。
なくてはならないものなんてない。
いつもずっと、そう思ってきた。
所有できるものはいつか失われる。なくてはならないものは、決して所有することのできないものだけなのだと。
~~長田弘「なくてはならないもの」(「世界はうつくしいと」から)
吉本ばなな「お別れの色」――小説家がペットロスを癒す
「お別れの色」は吉本ばななのエッセイです。
ここでいうお別れとは、死そのものだったり、死の予感であったり、死の後の日常であったり。吉本ばななは本書で友人の死や家族の死、そうして愛犬の死について語ります。愛犬の話は特に具体的です。
彼女は「お母さん、ごめん」と書きつつも「愛犬の死は母の死以上にぽかんとしてしまう」と書いています。
人間だったら、どんな近しい人でも自分の知らない面がある。(中略)周りが全く知らないかもしれないその人だけの小さな楽しみもあったろう。だから亡くなってもその人の丸ごとを悲しみすぎてはいけないように思う。自分との時間はその人にとってかけがえのないものではあるけれど一部だから。
でも犬には自分しかいなかった。そう思うと、どうしても悲しく思ってしまうのだ。
吉本ばなな「お別れの色」
そうなのです。
けしからんと思う人もいるかもしれないけれど、飼い主にとってはそうなのです。
インコには自分しかいなかった。
自分がインコの世界の中心だったと思うと、やっぱり丸ごと悲しくなってしまう。ペットロスの根本をついた文章だと思います。
他にも「出張中にしんでるかもしれない」みたいな葛藤があったり、何かあった時のためにAmazonの箱を取っておいてしまう切ない感じとか「明日か明後日にはしんじゃう愛犬のためにふかふかのベッドを買った」とか、些細だけれど刺さるエピソードばかりでした。
で、そんな刺さるエピソードを散文詩のように美しく綴るので、本当にやられてしまいます。
吉本ばななの作品はスピリチュアルよりのものも多く、そこが面白い反面、たまに「うーーー」という気分になることもある。が、本作は死を扱いながらそちらに寄りすぎることもなく。
もともと「人を癒したくて」小説を書いてきた人だけにヒーリングの力はすごいです。
『ありがとう。また逢えるよね。ペットロス心の相談室』――僧侶がペットロスを癒す
ペットロスを謳う本の表紙って微妙なデザインが多いよねと思うのは、やや立ち直りかけている今だからこそなのか。
それでも、読後は天使の輪っかつけたダサめの犬猫イラストが愛しく思える良本でした。
→※23年なんと改訂されて表紙も変わっている!評判いいのですね。
著者はペット霊園のお坊さんです。
住職さんだけに言葉がとても優しいのですね。
ペットが亡くなると言葉がわからない分、「せめて何か言ってくれたら・・・」だとか、「何か伝えたいことがあったのでは?」と思い悩みます。そんな飼い主に向けて著者はこう続けます。
何か言ってくれたら…と思うでしょうが、言うことは決まっていて、きっとあなたに「ありがとう」と言ってくれることでしょう。
何か伝えたいことが…と思うでしょうが、伝えたいことも決まっていて、あなたのことを「大好きだよ」と伝えてくれることでしょう。
各所に出てくるエピソードは犬猫の話が中心ではありますが、小鳥やハムスターロスであっても心に響く言葉が多いのが本書。
類書と違う点はそれぞれのシチュエーション別で癒しの言葉が用意されていること。
「事故で亡くなった場合」「病気の場合」「行方不明の場合」「(ペット)が若かった場合」「高齢だった場合」「飼い主が単身者の場合」「家族で飼っていた場合」などなど。
飼い主の心が少しでも楽になるようにと慈愛に満ちたフレーズが並びます。
愛するペットとの別れでは、必ずというほど何らかの後悔や自責、罪悪感を経験するものです。
また、最後を看取ることについては、病院で別れを迎えると「こんなことなら、家においてあげればよかった」となり、自宅で別れを迎えると「こんなことなら、病院に連れて行けばよかった」というように、実はどちらの道を選んでも私たちは後悔するものなのです。
そうなのです。そんな時、飼い主が心のどこかで言って欲しかった言葉ばかりが並びます。家にあるとペット飼いは一生重宝する本だと思います。
ちなみに「高齢で亡くなったペット」も「若くして亡くなったペット」でもお骨の状態を見ると「命の時はほぼ決まっていた」と感じることが多いそうです。
定められた天命を精一杯生きた、と。ペット霊園の住職さんならの言葉だとも思いました。
『うちの鳥の老いじたく』――鳥学者にペットロスを癒される
続いて、生物学的な観点からの癒しのことばです。
タイトル通り、老鳥向けの飼育本(&看取りの本)なのですが、ポーが亡くなった時に慰められたフレーズをいくつか。
・鳥は悩みません
・もっと悪くなったらどうしようとか人間が持ちがちな悩みを鳥は持ちません
・病気やケガで体の機能が落ちてもその理由や原因を考えたりはしません
・動かない部位が身体にあったとしても動かないことに適応しようとします
・老化した時や病気の最終局面においても、鳥にその自覚はありません
・それに抗うこともなく、老化や病気の体をただ受け入れていきます~~細川博昭・著『うちの鳥の老いじたく』より
この当たり前の事実に、救われる気がするのは私だけではないと思うので羅列してみました。
「なんで、死んでしまったのか?」「なんで、一緒にいてあげなかったのか?」と過去を悩むのは飼い主だけ。インコはきっと「なぜ自分が死なねばならなかったのか?」なんてことは1ミリたりとも考えない。
「もし、飼い主がこうしてくれていたらば」なんてことも一切考えないのですね。
その時々を楽しんだり、その時々で怯えたり、その時々に「?」と思ったとしても、それを振り返ることもなく……。
カウンセリングでペットロスを癒す
弔いを済ませ、本や音楽でペットロスを癒しても、癒しきれないこともある。
前述の通り、ペットとのことはペットと私だけの問題です。
ペットをなくした人なら体験があることと思いますが、私はポーちゃんを失ったこの悲しみをなかなか他人と共有できませんでした。
そりゃそうです。親友や恋人相手であっても完全に共有はできない。
「可哀想だね」「元気出してね」くらいは言ってもらえるでしょうが、「苦しくて悲しくて腹の中コンクリート状態だ!!!」といってもおそらくわかってもらえまい。なおかつ2日も3日も1週間も2週間も落ち込んでいたらちょっと呆れられてしまう恐れもある。
いやそりゃそうです。
数年経ってる自分だって、この記事読み返すのすらキツかったのですから。ああ、ポーちゃん……。お尻にヘルニアあったけど、かわいくてママが大好きだったポーちゃん……。
そうなのです。ここ1、2年でオンラインカウンセリングは一気に増えた。しかも意外にリーズナブル。「よりどころ」なんて1回40分1500円から話を聞いてもらえるのですよ。
登録から最短1時間後に話を聞いてもらえるのもありがたい。明日はどうだかわからない、でも、今はダメ!とにかくダメ!って時にはこの迅速さは何よりです。
プロのカウンセラー相手であれば「インコでペットロスなんてほんとはバカだと思ってるんだろうな」なんてことを考えずに、好きなだけメソメソグチグチできますしね!
なんども言うようにペットロスはたちまち乗り越えられるようなものではない。
ですが、こうやって話を聞いてもらったりするうちに、やり過ごすことはできるのです。1日1日を生き延びることはできるのです。
いや、大げさではないですよ。友人には言えなかったですけどね、「何言ってんじゃい!」と言われそうで。だからこそプロの力があるとわれわれはラクになれます。
ペット霊視でペットロスを癒す
ともあれ、オンラインカウンセリングがなかった当時、私は別の手段に出ました。
引かれるのは百も承知。もうなんとでもどうとでも。自分とかわいいあの子の世界が少しでもよくなるのならば。
ココナラでペット霊視を依頼する
結論から言いますと、やりましたよ、ペット霊視を。それくらい、「どうもこうもどうしようもない」状態だったのは確かなんですが、もう一つ言えば安かったから。
ココナラのペット霊視に2000円で視てくれる人がいたから。
私はココナラのクーポン券(新規登録で割引券がもらえる)を持っていたのでさらに安かった。そんな細かい値段のことなんかどうでもいいですかね。
ココナラは「個人の得意を売る」CtoCのサービスです。要はメルカリのようにユーザー同士で売買ができるサービスです。
「亡くなったペットの気持ちを読みます」みたいなサービスもたくさんあってレビューの多かったLannaさんにお願いしてみたと。
私がした質問です。
①最期の瞬間、そばにいられなくてごめんね。ぽーちゃんは怒ってますか?
②ぽーのいる場所からママのことは見えますか?声は聞こえますか?
③たまにはうちに遊びに来て。できたらサインを教えて。
霊視は1日掛からずに戻ってきました。
文章からポーがそばにいるような暖かみを覚えましたよ。
①では「ママが困ってて何か周りがへんで、どうしたんだろう、何が起こるんだろうって思ってた。でも、いなくなったことは怒ってないよ。ママが混乱してたのわかってたから」なんて泣ける答えが返って来た。
そのくせ、ドライな返答もあったりね。
②の「ママのこと、見える?」に対し「見ようと思えば見えるけど、もっと先に行かなきゃいけないからゆっくり見ていられないんだよね」みたいな。
まったく余計なことを!
でも、そんなツッコミ入れていたら久しぶりに日常の感覚を思い出してきました。
死んじゃったから美化したり、感傷的にもなりますけど、ポーは結構な確率で薄情なバカ鳥だったのです。
放鳥の際に「ママのこと、好き?ママのこと、好き?」と詰め寄ると、首傾げてカゴの中にサッサと入ってしまうとか。
これ、100回くらい、やられたかなぁ。
霊視でも「ママのこと大好き!」とか「ずっと忘れないからね」とか「もう泣かないでね」みたいな甘い言葉はあまり出て来なくて。でも、うちの場合はそれでよかったですね。ポーの方もサバサバと次の人生(?)に前向きっぽい様子が伺えましたし。
③の「うちに来た時、サイン教えて」の答えは困っていたらしいですが、「くしゃみかな」と。
ありがちだと思うでしょう。だけど、自分にとっては特別なサインでした。ポーは私がくしゃみをすると必ずマネしました。仕事場でくしゃみをすると、数秒後、隣室のリビング(ポーのいる部屋)からくしゃみが返ってくるみたいな。
とにかく私はやってよかった。霊能者さんにも感謝しています。
↑なお、サービス欄に「ペットロス」「ペットロス 霊視」などと入れると該当サービスがたくさん出てきますよ。
恋愛による占い依存症よりはハマりにくいとは思います。が、もし、なりそうになったらこれまで紹介した他の方法にも頼りつつ、ペットロスをやり過ごしましょう。乗り越えるではなく、まずやり過ごすことです。
外出も大事ですよ。原宿にペットロスカフェなんてものも出来ましたしね。
それでも、もし、やり過ごせなかったらメールをください。大したお答えは出来ないかもしれませんが、あなたの悲しみに耳を傾けることくらいならできるのではないかと思います。